危機の韓流、2014年の課題は?「量的膨張より質の高いコンテンツを優先すべき」
入力 : 2014-01-09 17:01:43 / 修正 : 2014-01-09 17:01:43

 

(株)博報堂キャスティング&エンタテインメントのキム・ヨンボム コンテンツビジネス開発部部長が韓流の課題について語っている。|ナム・ジンガク記者

 

[スポーツソウルジャパン|ナム・ジンガク記者] いつのまにか耳に慣れた「韓流」という言葉。K-POPを中心とした韓国の文化コンテンツが世界的に脚光を浴びている文化現象を指す言葉で、「韓流」は今、アジアを中心に南米やヨーロッパ、中東などまで大変熱い人気を獲得している。このような韓流の世界的人気には、いくつかの背景があるだろうが、日本の役割を抜きにしては説明できない。
2003年、ペ・ヨンジュンの「冬のソナタ」が日本で放送されたことがきっかけに、本格的な韓流の芽が芽生え、それ以降、日本で起きた韓国ドラマとK-POPのブームが韓流コンテンツ産業の量的・質的成長に繋がった。もちろん、このような成長を通じて韓国の文化コンテンツが世界の人々が楽しむコンテンツに成長したのは言うまでもない。日本市場の存在は韓流の発展に重要な鍵になってきたのだ。


では、なぜ日本だったのかという疑問が残る。韓国より先進制作技術と環境インフラを備えた日本で、韓流はどんな理由で注目されるようになったのだろうか?


<スポーツソウルジャパン>は、日韓交流がまだ不十分だった90年代初頭、日本に渡って韓国コンテンツの日本進出に先駆者的役割を果たしてきて、現在も日本のエンターテインメント界の中心でスペシャリストとして活躍している<博報堂 C&E>のキム・ヨンボム コンテンツ事業部統括プロデューサーに会って、「韓流」の過去と未来を聞いてみた。

 

日本国内の韓流の位相と今後の歩みについて述べているキム・ヨンボム部長。|ナム・ジンガク記者

 

- 韓流という言葉は、いつ、どのように生じたのか?
韓流の流れを振り返ってみると、“韓流”という言葉はダンスグループ「クローン」から始まった。98年に「クローン」が台湾で大きく成功したのがきっかけで、韓国のダンスミュージックが台湾、香港、中国などで流行り始めた。韓国でもダンスミュージックがさらに成長するようになり、それがまた中華圏で韓国の音楽に対する大きな関心を引き起こした。当時、中華圏の記者たちがこのような文化現象を指して、「韓流」という言葉を最初に使ったのが「韓流」の始まりだ。


- 日本ではどのようなプロセスで韓流が始まったのか?
2002年の日韓ワールドカップが大きなきっかけになった。98年以降、中華圏を中心にアジア全地域で韓国コンテンツに対する関心が大きく高まった頃、97年日韓ワールドカップ共同開催が決定された。この時を基点に韓国に対するポジティブなイメージが日本で急浮上することになる。NHKのBS衛星放送をはじめ、各ケーブル放送、地上波などで韓国ドラマを放送し始めたのもその頃だった。それ以来、日本国内でも韓流という言葉を使うようになった。当時、日本での「韓流」という言葉は、韓国に対する親密さを表す表現でもあった。

 

キム・ヨンボム部長が日本国内の韓流熱風を導いたコンテンツと診断した映画「シュリ」(左)とドラマ「冬のソナタ」|「シュリ」の公式ポスター、KBS提供


- 日本で本格的な韓流の始まりを知らせた作品は?
個人的には、2000年1月、初めて日本全国で公開された映画「シュリ」が韓流の始まりだと思う。「シュリ」という映画は、韓流に代表される韓国の大衆文化コンテンツが日本市場で初めて大きくヒットした作品。現在までの韓国映画の中、日本のボックスオフィス1位に上がったのは「シュリ」だけ。その後、「JSA」(2001年)、「猟奇的な彼女」(2002年)も大ヒットし、韓国映画だけでなく、韓国の大衆文化全体が日本で大きく注目されるようになる。韓国映画の活躍で既に日本国内では韓国コンテンツが注目を浴びる社会的な準備ができ、2003年に登場したドラマ「冬のソナタ」の大ヒットに繋がったと思う。「冬のソナタ」以降は、連続的に韓国ドラマが日本のお茶の間を訪れることになる。
「冬のソナタ」ブームの背景には、もう一つの文化コンテンツ歌手「BoA」の登場もある。「BoA」は、世界第2位の音楽市場を誇る日本の音楽市場で、韓国というアイコンが持つ違和感をなくした最大の功労者。ドラマが韓流の象徴のようになっているが、その背景には韓国映画やK-POPの成功があり、そのお陰で“韓流””、“韓国”というアイコンが水面上に浮かび上がったと思う。

 

- 韓流の始まりだった韓国映画だが、最近は低迷ぶりが見えてくる。その理由は?
直接的な理由を言うと、日本の映画市場の低迷と韓国映画市場のバブルだ。2006年を経て、韓国の映画市場はバブル時代に入る。資本の投資が活発に行われ、多いときには約120編の映画が韓国で公開された。それによって、多くの韓国映画が日本にも流れ込んだ。量的な成長の面では良い成績を収めたと評価できるが、映画の完成度と質的な面では問題点が現れ始めた。
また、韓国映画が役者中心のコンテンツに転落したことも、韓国映画の低迷の原因だという分析も出ている。映像が持つ良いメッセージが作品性よりも俳優に焦点が合わせるようになり、韓国映画だけが持つ力を失って役者中心のプロモーションに変わってしまった。以前には、コンテンツに対する誠実で良心的なプロモーションが行われたが、韓流が産業化し始めると、質の良い文化コンテンツとして評価を受けていた韓国映画のイメージが消費性の強い商品のイメージに変わってしまった。結果的に、日本市場で韓国映画だけが持つ文化的魅力が徐々に消え始めたという話になる。ここ2、3年、韓国映画は質的に最高の映画を作り出していると思う。しかし、既に上記で話したように消費されやすいイメージが強くなっており、日本市場での韓国映画の反転には相当な努力が必要だと思う。

 

日本で活発に活動して韓流の主役に成長したBoA、東方神起、BEAST(左から時計回り)。|ナム・ユンホ記者、キム・スルギインターン記者

 

- 映画とは異なり、K-POPは日本で絶頂の人気を享受している。
前述のように韓国のK-POPは、ドラマに象徴される韓流ブームによって、人気を得たものではない。競争力を持つ優れたコンテンツがすでに韓国で成長していたため、ワールドワイドな制作環境をもとにK-POPというジャンルにこだわらず、さらに発展していく可能性があった。今後、韓国市場でどのようなジャンルのコンテンツが流行るかによって、日本の音楽界も影響されると思う。
日本の音楽市場はアイドル文化を中心に動いている。大衆文化論でみても、アイドル市場に融合されるコンテンツは、需要と供給の力学関係がうまくいけば、持続的に発展する可能性が高い。その面では、K-POPは最適化されている。一つ注意すべき点は、度を過ぎた商業的アプローチ。お金だけを狙った一発屋式のマーケティングは、優秀なクリエイターたちの努力を水の泡にさせることになる。両国の文化を合わせることができる、マクロの観点が必要なときだ。そのためには、意識を持つ次世代の人材の育成にさらに力を入れなければならない。


- 韓国ドラマの人気の秘訣は?
韓国ドラマは日本で、すでにひとつのジャンルとして定着した。人気の秘訣は、社会学的な研究が必要だが、最大の理由を挙げれば、ドラマの内容が普遍性を帯びていることだ。韓国の「情緒」は、深い儒教文化に基づく。こういう韓国の「情緒」はドラマのあちこちで表現されている。東洋、特に中国を中心にした北東アジアは、儒教文化が根幹となる文明。この点が韓国ドラマに対する拒否感や違和感のかなりの部分を削除した。日本のドラマがかつてアジアを中心に大きな人気を呼んだ理由も同じ理由からだった。しかし、現在は作家主義を重視する傾向が強く現れ、かつてのような誰もが共感できる普遍性が見えなくなった。
これに加えて、韓国俳優たちの優れた演技力も一役買っている。強いリアリズムを基にした優れたメッセージ伝達力を持つ韓国演技者たちの存在は、ドラマが韓流の中心として浮上する原動力になった。


- 日本国内での韓流を引っ張って行く、次のコンテンツは?
韓国ミュージカルが徐々に日本で人気を得ている。韓国とは異なり、日本のミュージカルは、年配の方が楽しむコンテンツというイメージが強い。演技力、歌唱力などすべてが集大成されて表現されるのがミュージカルだ。その意味で、ミュージカルの普及が遅れていた韓国が日本より環境も現代的でよく整備されている。日本はそういう意味で、少し保守的な色を帯びている。
演技力と歌唱力を兼ね備えている韓国のアイドルスターたちがミュージカルに多く進出することによって、市場規模がさらに大きくなっている。しかし、まだ韓国のミュージカルは、米国、英国などの先進国と比べると、不足している部分が多い。実際に舞台制作の面でも技術力の差が見られる。しかし、韓国だけの大きな利点を生かせば、日本でも韓国のミュージカルの見通しは明るい。
重要なのは、韓国の創作ミュージカルを日本人も共感できるように、日本文化とどれだけうまく融合できるかという点だ。強力なメッセージ伝達力がある韓国ミュージカルの色を生かすことができれば、今後、韓流コンテンツの源として十分に発展すると考えている。


- 最後に伝えたいことがあれば?
作る人々は、量的な膨脹のみを追求する成長ではない、良質の文化コンテンツを提供することに集中しなければならない。このような点は政府も同じ。文化コンテンツの海外進出と実績成長のみを考えず、今まで韓流を応援してくれた世界の人々に感謝しながら、さらに質的に改善されたコンテンツを提供できる環境を造成するべきだ。そのためには政策的な努力も必要だ。


[キム・ヨンボム略歴]
1964年生まれ。慶熙(キョンヒ)大学で日文学科を卒業した後、日本に留学。上智大学大学院でジャーナリズムの修士学位を取得。帰国後、ポニーキャニオンコリア、ミュージック・マウンテン(作曲家イ・ヨンフンが代表)など、韓国音楽業界で活躍。 97年、日本のアミューズ国際部に入社し、主に韓国の映画、音楽、ドラマなどの日本の配給業務を担当。アミューズコリア代表理事、アミューズ国際業務担当執行役員(取締役)を歴任。現在、日本の総合広告代理店である株式会社“博報堂”でコンテンツ事業分野総括プロデューサーとして勤務。
 

 

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