ソウル・麻浦区(マポ・グ)には2010年に復元された1930年代の日本軍官舎がある。|ソン・ヒョングンインターン記者

 

[スポーツソウルドットコム|ソン・ヒョングンインターン記者] 「アパート団地のすぐ前に日本軍官舎があるなんて、とんでもない話だと思いませんか?」
ソウル・麻浦区(マポ・グ)にある日本軍官舎を見てため息を吐く住民の話だ。公園とアパート団地の間に建てられた日本軍官舎。なぜ復元になって、3年以上の歳月を放置されているのだろうか?


7日午後、問題の日本軍官舎がある麻浦区を訪れた。上岩(サンアム)・ワールドカップ・アパートの10団地やDMC先端センター、外国人学校、大規模な建物工事現場などがみられ、活力にあふれた街だった。しかしその反対側には、全く違う雰囲気の木造建築物2棟が見られる。


普通の木造建物のように見えるこの建物は、1930年代の旧日本帝国による植民地時代に作られた日本軍官舎である。日本軍将校が泊った宿泊施設や一般将兵用の兵舎など2棟の建物で構成された同日本軍官舎は一般公開を目的に建てられ、案内板と管理事務所まで備えている。

 

復元されてから3年が過ぎたが、日本軍官舎は一般公開をしないままだ。それさえも麻浦区庁で派遣された管理人一人が働いており、周辺整理をしている。

 

日本軍官舎は、2005年同地域の一帯を開発したSH公社が発見し、韓国文化財庁が貴重な遺産であると判断、去る2010年9月に復元が完了した。しかし、近所の住民の強い反対で、文化財登録すらできない状態で3年以上を放置されている。
日本軍官舎について、近くの住民は眉をひそめた。近くの住民は、「アパート団地のすぐ前に日本軍官舎があるというのが常識的なのか。子供たちが登下校時にその前を通っていて、教育にも良くない。向かい側には日本人学校もあり、住民にとっては敏感な事案だ」と述べた。


実際、午後3時が越えると、日本軍官舎の隣にある小道で生徒たちが帰宅する姿が見えた。日本軍官舎から100m離れたところには、8つのバス路線が通るバス停があり、多くの人々が行き交った。目の前の車道を渡ると、2010年10月に開校した日本人学校もある。

 

日本軍官舎のすぐ前には公園が、近くにはDMC先端センター、外国人学校がある

 

このため、近所の住民たちは、2010年9月から麻浦区庁に嘆願書を提出して、同建物の撤去、または移転を要請している。主な理由は、誇らしくない歴史の痕跡を文化財として登録して保存する必要がないということだ。

 
近くのアパート団地で住んでいる住民は、「日帝による植民地時代の残滓をなぜ保存しようとするのか分からない。さらに他でもなく軍の兵舎だ。どうしても理解できない。文化財登録をまた推進すると、今後も反対していく」と声を高めた。住民のほとんは、家の前に見たくない不適当なものが設置されたと反対の意思をはっきりと示した。


しかし、過去2012年のSH公社から所有権を買収した麻浦区庁は、日本軍官舎を文化財として判断して、文化財登録を再推進している。麻浦区庁の文化観光課の関係者は、「復元費用として13億ウォン(約1.1億円)が投入された。日本軍官舎は、文化財庁の調査結果、文化財としての価値があるため、撤去する予定はない。再び文化財登録を推進していく」とし、「文化財登録が失敗に終わった後も、管理人を配置して管理している。放っておいたのではない」と説明した。


文化財庁は、麻浦区庁の要請がないため、文化財登録を行うことができないと述べている。文化財庁の近代文化財課の関係者は「麻浦区の日本軍官舎は、文化財庁に登録されていない状態。一度失敗に終わった後、自治体が登録の要求をしていなかったが、いつでもリクエストが入ってくると、再審議を行う予定だ」とし、「日帝関連の文化財に対する否定的な認識は常にあったが、恥辱的な歴史の残滓も歴史的教訓を与える我々の文化財」と付け加えた。


一方、韓国では日帝による植民地時代に使用された建物を復元して活用する事例はたまにある。ソウル市西大門区(ソデムン・グ)にある西大門刑務所と全羅南道(チョンラナンド)木浦市(モクポ・シ)にある東洋拓殖株式会社の支店などがその例として挙げられる。

 

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